2023年02月18日 記事ID: 1690

常識を壊し、伝統を守る。

蔵元 山本 友文さん

株式会社山本酒造店 6代目蔵元 山本 友文さん

八峰町(旧八森町)出身。地元の高校を卒業後、ミシガン州で機械工学を学ぶ。帰国後、音楽プロダクションに入社、マネージメント業務を行う。平成14 年、株式会社山本酒造店の後継者として帰郷。杜氏に頼らない酒造りを始める。平成22年、県内の他の蔵元と蔵元技術集団「NEXT5」を結成。


世界遺産・白神山地の天然水を引いた自家水道を持つという、贅沢極まりない環境で酒造りを営む株式会社山本酒造店。明治34年創業の趣ある蔵にはビートルズが流れ、最新の設備が並びます。酒米はすべて自社精米。精米機で納得のいくまで磨きます。麹造りは徹底した無菌室で。ときには発酵タンクも山本さん自ら設計します。常識を疑い、新しいことに挑戦し続けてきた秋田酒造界の革命児、山本さんらしい蔵の様子です。

杜氏制を廃止し、蔵元自らが製造責任者となって酒造りをするという、従来の常識では考えられない決断をした山本さん。その道は決して平坦ではありませんでした。醸造試験場に足繁く通い、試行錯誤を繰り返し、必死で酒造りの方法を模索する日々。酒造りを始めた最初の3年は記憶がないそうです。そんな苦労のかいあって、山本さんが生み出した新ブランド「山本」は、秋田を代表する銘柄へと成長しました。その確かな品質は、日本国内はもちろん、海外でも高く評価されています。

喜んでくれる人のために、自分の手で酒を造る。

喜んでくれる人のために、自分の手で酒を造る。

どのようにして「酒造りをする蔵元」に?

平成14年、私が32歳で後継者として地元に戻ったとき、会社は窮地に陥っていました。日本酒の消費量の減少、度重なる身内の不幸、商品の質の低下。並大抵の改革では立て直すことのできない状況に、どうせ倒産するなら、最後に自分で作ってみよう、と思って酒造りを始めました。

酒造りという仕事の魅力は?

私は新しい酒を造るとき、まずは飲む人のことを想像します。こんなお客さんがいて、こんな酒があったら喜ぶんじゃないかな、と想像してから、じゃあどの酵母とどの米を使おう、というように逆算して酒造りをします。新しい商品のアイデアはだいたい車を運転しているときに思いつくんですが、頭に思い描いていた商品が出来あがって、形になったときはうれしいですね。

酒造りは天職だと思います。とにかく楽しい。仕事は楽しくないと。蔵でビートルズを流しているのも、社員が楽しく仕事をするためなんですよ。

海外での反応は?

中国、韓国、タイ、オーストラリアなどで取引をしていますが、日本酒を初めて飲む方たちの反応というのは、とても新鮮で面白いです。経費や関税がかかるので、現地の飲食店で提供されるときにはかなり高額になりますが、喜んでいただけています。秋田の米と白神山地の水を、日本酒という形にすることで海外に発信することができる。地元にも貢献でき、誇りの持てる仕事だと思います。

今後の展開は?

4年後くらいに、現在、精米場として利用している建物をリノベーションして、テイスティングや商品の購入ができる施設を作りたいと考えています。冷蔵室の中にミニチュアの製造ラインを作って、製造工程を見学できるようにしたりもしたいですね。国道101号線から出入りできるようにして、観光客の方も立ち寄りやすい、八峰町の新しい観光名所にしたいです。

日本酒の消費量が増えることはないかもしれませんが、日本酒のファン、山本のファンが増えるように、心をつかむ商品を作り続けていきたいです。