2023年02月18日 記事ID: 1689

美しく厳しい海と共に

漁師 山本 太志さん

漁師 山本 太志さん

八峰町(旧八森町)出身。三代続く漁師の家の長男として生まれ、子どもの頃から海と船に親しんで育つ。教員を目指し地元の小学校に勤務していたが、28 歳のとき漁師となる。有限会社但馬漁業 代表取締役。玄辰但馬丸 船長。


荒々しい岩礁に縁どられた海岸から、白神山地へと続く緑豊かな段丘。美しい自然に囲まれた八森漁港から、山本太志さんは漁に出ます。船の上から見える二ツ森(白神山地)の姿は、漁師だけが見ることを許された絶景。その地形は美しいだけでなく、古くは漁場を知る手がかりになっていたそうです。白神山地から注ぐミネラル豊富な水に育まれた漁場では、ハタハタ、アンコウ、タラ、クロマグロ、アワビ、岩ガキなど、季節に応じて多種多様な魚介類が水揚げされます。

山本さんが三代目船長を務める玄辰但馬丸は、八森で最も大きな底引き網漁船。巨大な網を海底まで下ろし、魚が入って4トンから5トンもの重さになった状態の網をロープで引き揚げます。逃げ場のない船の上での作業は、常に危険と隣り合わせ。自分で自分の命を守れるようになるまでに3年、漁師として独り立ちするには10年かかると言われています。そんな海の過酷さと厳しさを知ってなお、「漁師はみんな、海が好き」と山本さんは笑います。

漁師が子どもたち憧れの職業となるように。

漁師が子どもたち憧れの 職業となるように。

漁師になろうと思ったきっかけは?

祖父の代から続く漁師の家に生まれ、子どもの頃から船があって当たり前の生活をしていましたが、漁師になろうと思ったことはありませんでした。教員になりたくて、大学の教育学部を卒業し、地元の小学校に6年間勤めていました。

ある日、突然父に呼び出され、料亭の立派な個室で「漁師になってほしい」と頼まれました。父の真剣な様子と、祖父の代から続く船を守らなくてはという長男の責任感から、漁師になる決断をしました。

漁師という職業の魅力は?

ここだと思った場所に網を入れて、ハタハタやタラが大漁に揚がったときは興奮します。網いっぱいに揚がったハタハタを巨大なタモで何度も何度も汲んで、船一面がハタハタで覆われてしまいます。その光景は圧巻の一言。

ハタハタやタラは冬の荒れた海で漁をすることが多いんですが、海が荒れているときの大漁は、船が重くなって危険なんです。その危険を切り抜けて、無事に港に戻ったときの達成感はひとしおですね。

これからの漁業について

八森の漁師にとって、冬のハタハタは大きな収入をもたらしてくれます。しかし、それだけを頼りに1年を過ごすのではなく、養殖や商品開発、情報発信や販路拡大などの努力によって、年間を通して収入を得る仕組みづくりをしなくてはいけないと思います。

漁業体験を通して県外の方たちに漁業の魅力を伝えたり、消費者の方たちに八峰町産の海産物のおいしさを知ってもらうためのイベントを東京・赤坂で開催したり、旬の海産物のインターネット販売や、養殖アワビの加工品と活魚の販売にも力を入れています。

将来の目標は、子どもがなりたい職業のベスト3に漁師が入ること。しっかり稼げて、かっこよければ子どもたちは誰もが漁師になりたい、と思うはずです。漁師ってかっこいい、漁師になりたい、そう思ってもらえるよう、八峰町の漁業を発展させていきたいと思っています。