3月31日(木)
本日をもって定年退職になる6名の職員の送る会を、16時から開催した。
私からは冒頭、年度末でもあることから重点的に取り組んできた「八峰町誕生10周年記念事業」、「小・中学校統合」、「各種重要計画策定」、「県との未来づくりプログラム」等への努力に対し、全職員に敬意を表した。
6名の退職者は、旧町村から通算して42年勤続3名、38年勤続2名、23年勤続1名とそれぞれ長年に亘り町政運営にご尽力頂いたことを心から感謝申し上げ、退職されても健康長寿で有意義な人生を送って頂きますようご祈念申し上げました。
退職した6人一人一人からは、それぞれ挨拶がありました。
木村給食センター長は「管財で峰浜庁舎火災を扱ったことが印象に残る。担当した1,400回の給食が事故無かったことは誇り。小さくともキラリ光る八峰町を期待。」
米森農業委員会事務局長は「家族から今日1日だと激励されてきた。無事定年迎えた。安全で住みよい町期待。健康で仲間意識をもって業務を。」
金平会計管理者は「よく42年務めた。皆さんのお蔭だ。庁舎火災は、空しく悲しい思い出だ。八森ゴミステーション化の取り組み印象に残る。一町民として町を支えたい。」
田村総務課長は「3.11大震災、豪雨災害の対処や防災対策が印象に残る。昭和30年の峰浜村誕生から約50年で再度合併と変化してきたが、八峰町は50年、100年と持続して欲しい。」
柴田保健師は、「充実した38年間であった。新しい仲間と新しい町づくりに関われて幸いだった。最初で最後の引継書を書いた。心と体を大切に頑張って欲しい。」
笠原保育士は、「通算7か所の子ども園を経験した。子ども達は、町の素晴らしい宝だと思った。お世話になりました。」
その後、退職者に花束を贈呈して会を閉じ、庁舎入口に整列して拍手で見送りしました。
退職者のご労苦に感謝申し上げると共に、今後も後輩へご支援よろしくお願い申し上げます。
3月27日(日)
八峰町は本日、満10年を迎えた。
平成の合併で能代市山本郡各市町村が苦悩し、様々な経過を辿りながら出来上がったのが、現在の市町の形である。
秋田県で一番最後に、隣同士八森町・峰浜村での合併を選択したわが町の10年を祝い、昨年以来行ってきた各種イベントの締めくくりとして、新たな一歩を踏み出す「八峰町誕生10周年記念式典」を10時から文化交流センター「ファガス」で開催しました。
式典にあたって、私から式辞で『この10年町民意識の一体化を図りながら、町づくり計画に基づいて着実に様々な事業や施策が展開されて来たが、当初予想出来なかったのが峰浜庁舎火災と人口減少である。現状を踏まえて策定した、次の10年の町づくりの基本となる「八峰町総合振興計画」を実践しながら、人口減少に立ち向かう「まち・ひと・しごと創生総合戦略」、秋田県との未来づくり協働プログラム「八峰おがるしいたけプロジェクト」を並行して進めてまいります。合併特例の縮小や人口減少の厳しさは続きますが、小さい町であっても持続できるよう努力していくので町民のお力添えをお願いしたい。』旨申し上げました。
芦崎議長からも、「議会も小さくともキラリ光る町づくりに頑張る」旨の挨拶が述べられました。
次いで、表彰状と感謝状の贈呈を行い、自治会商工会役員として頑張ってこられた方々をはじめ、様々な分野で町の発展に尽くしてこられた49名の方々に差し上げました。
その後、ご来賓の秋田県知事「佐竹敬久」、秋田県町村会長「佐々木哲男」、衆議院議員「金田勝年」、参議院議員「石井浩郎」、参議院議員「中泉松司」、秋田県会議員「能登祐一」の6名様からお祝いのご挨拶を頂きました。この他にも、県議会議員や能代市長等ご臨席頂き、感謝申し上げます。
式典は最後に「八峰町民歌」を合唱し、閉じました。
休憩後、第2部アトラクションに入り、八森中・峰浜中吹奏楽部による合同演奏、峰神太鼓、石川駒踊りが披露されました。
3月26日(土)
平成28年度八峰町スポーツ少年団合同入団式が、10時からあきた白神体験センターで開催された。
新年度は八森スポーツ少年団、峰浜スポーツ少年団、峰浜TRCスポーツ少年団の三団でスタートする事になった。
峰浜スポーツ少年団は、今年度まで水沢と塙川に分かれていましたが、来月からの学校統合に合わせて新しい体制になった。
入団式は、団ごとに拍手を受けながら入場し、整列して始まった。
最初に各団を代表し、前に出た5人がリードして団員全員で、以下のような「日本スポーツ少年団団員綱領(五つの誓い)を唱和した。
日本スポーツ少年団団員綱領(5つの誓い) 1.わたくしたちは、スポーツをとおして健康なからだと心をやしないます。 1.わたくしたちは、ルールを守り、他人に迷惑をかけない立派な人間になります。 1.わたくしたちは、スポーツによって、自分の力を伸ばす努力をします。 1.わたくしたちは、スポーツの喜びを学び、友情と協力を大切にします。 1.わたくしたちは、スポーツをとおして、世界中の友達と力をあわせ、平和な世界を作ります。 |
そのあと、工藤スポーツ少年団副本部長の挨拶、私からの激励の挨拶があり、最後に団員を代表し、八森スポーツ少年団の門脇史弥君から、1年間頑張る力強い誓いのことばがあった。
昨年は、八森ブルーウェーブの野球東北大会出場をはじめ、各団とも精一杯の力を発揮してくれましたが、今年も日頃の積み重ねの成果が発揮できればと期待しております。
本入団式終了後は、健康講座やストレッチング、各種トレーニング指導、スポーツ栄養等でご活躍の「戸島義夫」先生から団員を指導して頂きました。
3月25日(金)
新年度に向けて、今月は多くの職場で人事異動の内示が発表されている。
教職員の異動も昨日、新聞に発表された。
それを受けて、町内五校の転任や退職される教職員の離任式を9時から役場会議室で行った。
式は、各校毎に一人一人異動者を紹介したあと、私から在任中、八峰町の児童生徒の育成、教育向上にご尽力頂いたことや、この一年、学校統合の準備、閉校記念行事でご難儀かけたことに感謝申し上げました。また、転任される教職員には新任地でも実力を発揮して欲しいこと、退職者にはご健康で有意義な人生を送られることを申し上げ、今後も八峰町の教育へお力添えして頂くようお願い申し上げました。
次いで佐藤教育委員長からもこれまでのお礼と今後のご活躍を激励して頂きました。
最後に、転任される教職員を代表して八森、峰浜両中学校で7年の経験ある峰浜中学校長 長浜中先生からご挨拶を頂き、閉式しました。
八森、峰浜中学校、水沢、塙川小学校の閉校という転換期に立ち合って頂いた先生方に重ねて感謝申し上げます。
10時30分からは、文化ホール「ファガス」で「ことぶき大学閉講式」が行われました。
町内最大の学校である「ことぶき大学」は学生数443名を数え、今年度6月の開講式以来、開催してきた講座も今日が最終回となりました。
閉講式では物故者への黙祷や町民歌を合唱した後、第一学年から名誉教授課程までの14課程の進級者と卒業者316名の名前が呼び上げられ、出席者は元気よく返事をしていました。中でも赤塚一雄さんの声がひときわ大きく聞こえました。
この進級・卒業者の代表者と全講座に出席した156人の代表者にそれぞれ、修了証、皆勤賞を授与しました。
また、14課程を見事修了した6名の皆さんには、前に並んで頂き、一人一人に修了証と勲章を贈り、記念撮影をいたしました。
その後、私からは、一年間の大学学習の労を労うとともに、10周年を迎えた町のこれまでとこれからの方向について話して、大学生からのご支援をお願いしました。
武田理事長からは昭和53年、旧峰浜村の60名で産声を上げたことぶき大学開講時の想いでに触れて頂きました。
来賓としてお出での芦崎議会議長、門脇副議長を代表して、議長からはお祝い言葉を頂きました。
式終了後は、五城目のトメさんこと「小玉進」氏を講師に「トメさんと聞いて笑っていきいきと」と題した閉講記念公演を聞き、笑いの中で、楽しいひと時を過ごして一年を締めくくりました。
3月24日(木)
10時から塙川こども園の卒園式が来賓や保護者の出席を得て行われました。
入場から退場までの卒園児の態度はすごく立派で、成長した姿に感心しました。私から、8名の卒園児一人一人に卒園証書を渡しましたが、受領したあと、はっきりした声で「有難うございます」と答え、来賓の皆様からもお褒めの言葉を頂きました。
園長はじめご来賓の佐藤塙川小学校長、門脇副議長、高杉保護者会長からは、小学校に入学しても頑張るよう温かい励ましの言葉を頂きました。
最後に、卒園児と在園児が呼び掛けを行いました。
保護者の中には、成長した晴れ姿を見て涙する人もいて、私も温かい絆を感じました。
3月19日(土)
今年度は学校統合の対象となる4校で閉校式が行われてまいりましたが、本日13時から最後となる峰浜中学校で閉校式が行われました。
峰浜中学校は昭和56年4月1日、沢目中学校と塙川中学校が統合してから35年間にわたって歴史を築いてまいりましたが、急速に進む少子化によって生徒数が減少したため来年度八森中学校と統合し、八峰中学校として新たな出発をすることになった。
この日、生徒、先生はじめ保護者、来賓等含めて約250名が参加して執り行われました。
私は式辞の中で、統合に至った経緯と統合へご理解を頂いたことに感謝申し上げました。また、最後の卒業生の皆さんには、「峰中での活躍の数々を讃え、これに自信と誇りを持って新しい道に邁進して欲しい」と言いました。1・2年生には、「八中の歴史にも学び、切磋琢磨しながら新八峰中学校を前進させて欲しい」と訴えました。
ご来賓の畠修秋田県教育庁山本出張所長と芦崎達美八峰町議会議長、そして長浜中校長から挨拶があった後、生徒を代表して生徒会長の菊地悠汰君から「閉校は、寂しく残念だ。創造・気迫・友愛の校訓のもと様々な栄光を築いてきた。この一年、結束をテーマに悔いのないよう部活動や様々な学校行事に頑張ってきた。校名は無くなるが、最後の一ページを記録することが出来た。峰浜中学校有難う!!」と挨拶が述べられ、最後に校歌を歌い閉校式を閉じた。
この後、生徒による35年間の峰浜中学校の歴史をスクリーンも使いながら、出来事を演技で披露してくれた。途中では、来場者全員で「ふるさと」や「八峰町民歌」を合唱した。また、将来の夢を語るシーンでは「建設会社社長 数学の教師 日本一の農家」と三人がそれぞれ力強く発表してくれました。
フィナーレでは、全校生徒による「大地讃頌」の合唱が会場内に響き渡りました。
来賓や保護者の退場時は、感謝の意を込め生徒が列を作り、拍手で送ってくれた。その心に感謝をしたい。
3月15日(火)
141年の歴史を築いた水沢小学校は、本日最後の卒業式を行いました。
この6日に閉校式を終えたばかりですが、水沢小学校最後の卒業生19名が巣立った。
来月からの八峰中学校入学を目前にして、全員新しい少し大きめの制服を着た卒業生は、この6年間の成長で一段とたくましく見えました。
「ふるさと」の曲が流れる中、一人ひとり壇上に進み、校長先生から渡された卒業証書をしっかり抱えた児童に、石川校長先生は、『「まなぶ」の語源は「まねぶ」からきている。人間の生き方の良いところは真似ること。「思いやり」の心で友を作って欲しい。』と激励がありました。
佐藤教育委員長、私、塚本PTA会長からもお祝いと励ましの挨拶があった後、笠原町議会議員から生徒代表に町からの祝い品が贈呈されました。
児童の「別れのことば」では、卒業生が「ヤル時はヤルを合言葉に、すべての行事に団結して頑張ってきた。6年間の出来事は私たちの胸に輝いている」と皆の想いを述べて、長文の歌詞である「旅立ちの日々・・・」を歌い、それに対し、1年生から5年生までがクラスごとと全員で卒業生にお祝いと感謝の言葉を述べて、「また会う日まで」を合唱した。
最後に全校で「ふるさとはずっと」を歌い、水沢小学校の歴史を閉じる卒業式を閉会しました。
長年、水沢小学校を支えて下さいましたすべての皆様に深甚なる感謝を申し上げます。
3月12日(土)
今年度をもって69年間の歴史に幕を下ろす八森中学校の卒業式が、10時から開催された。
恩師、保護者、来賓、1・2年生が待つ体育館に担任の先導で、一人ずつ間隔を取りながら拍手で迎えられた卒業生が着席して式は始まった。
修礼、国歌斉唱のあと、校長先生から卒業生一人一人に卒業証書が手渡された。
その後、皆川校長先生から激励の挨拶、佐藤教育委員長と私の祝辞に続き、門脇副議長より卒業生に記念品が贈られた。
その後、門脇PTA会長からは、感極まった挨拶がありました。
又、別れのことばでは、卒業生がステージ側に、在校生は反対側に位置してそれぞれ呼び掛け・合唱を行い、締めに「旅立ちの日」を全校生徒で歌った。
この途中には、涙する生徒もいて、胸にジーンと来るものがあった。
最後に、参加者全員で校歌を合唱、修礼で閉じた。
退場の際は、卒業証書を抱えた卒業生が一人一人間隔を取りながら、保護者の前を通り、大きな拍手で送り出されました。
この一年、「最後の‐‐‐」と前付けした様々な行事を一致団結して取り組んで来た八中生の先頭に立って努力してきた卒業生の姿は逞しく、有終の美を飾るに相応しい旅立ちであった。
卒業生の皆さんには、数々の思い出を大事にしながら目指す進路に向かって挑戦し、活躍することを期待しています。
7,300名の卒業生を送り出してきた八森中学校は、来月、峰浜中学校と統合し、八峰中学校としてスタートします。
これまで八森中学校を支えて頂きました全ての皆様に深く感謝申し上げます。
3月11日(金)
八森地区で猿被害が発生してから約30年、農作物被害を受けた農家の皆さんが中心となって結成された「猿被害者の会」の総会が、13時30分からハタハタ館で開催された。
今年度の農作物被害は、昨年度と比較して若干減少して被害面積約3.7ヘクタール、被害金額約159万円でした。
農家個々では、ロケット花火で追い払ったり、防止網で防御したり、簡易電気柵を設置するなどして被害軽減に頑張ってまいりました。
町では、農家に必要な消耗品の支援や猟友会の協力を得て追い上げ実施隊をつくり、定期的に巡回して追い上げや捕獲駆除に当たってもらいました。
少しずつ効果を上げていると思いますが、猿とは息の長い闘いになりそうであります。
本日の総会では、会員21人含め24人が参加して開催、平成27年度事業報告及び収支決算や平成28年度事業計画及び収支予算を原案通り承認したあと、役員改選に移り、監事1名を除き佐々木清美会長以下を再選して終了しました。
3月10日(木)
1月2日ご逝去された、元八森町議会議長、須藤三四郎氏に「旭日双光章」が授与されました。
本日は、菊子山本地域振興局長が自宅に伺い、奥様とご長男に手交して伝達されました。
須藤氏は昭和54年9月から平成15年8月までの6期24年に亘り八森町議会議員を務められ、教育民生常任委員長や産業建設委員長、副議長等を歴任した後、平成11年から議員退任までは議会議長を務められ、円滑な議会運営と町政進展に尽くされた自治功労が認められての叙勲であります。
又、須藤氏は地域での信頼も厚く、自治会長や交通安全協会支部長等地域の求めに応じて、様々な立場で地域の発展にも貢献して頂きました。
あらためてそのご功績に深く感謝申し上げます。
残念ながら、直接本人に祝意を申し上げることは出来なくなりましたので、仏前に報告し、ご冥福をお祈りして参りました。
3月9日(水)
本年も、能代市山本郡医師会からAED1台が寄贈されました。
お忙しい昼休みを割いて織田副会長と事務局長が来庁して、小児用パットと救護マットを併せて贈って頂きました。
医師会から頂いたAEDはこれで19台となり、地域の公共施設に配備しながら活用しておりますが、今回はポンポコ山公園交流センターに配備することにしております。
日常的に使い方の訓練を行い、緊急時に備えたいと思います。
3月6日(日)
141年の歴史を築いてきた水沢小学校は今年度をもって閉校し、来月からは塙川小学校と統合し「峰浜小学校」として新たなスタートをすることになりました。
これまで7,100名を超える卒業生を送り出してきましたが、急激に進む少子化の影響で様々検討した結果、統合の道を選択することになりました。
本日、児童88名を含め関係者約300人が出席して、リニューアルした校舎で閉校式が開催されました。
私からは式辞の中で、児童の活躍の様子や長年にわたって水沢小学校を支えて頂いた保護者、同窓生、先生、地域の方々等に感謝を申し上げました。
来賓の秋田県教育庁 北教育事務所 畠山本出張所長と芦崎町議会議長のご挨拶、石川校長先生のご挨拶があった後、児童を代表して塚本莉爽さんが、1年間の行事が思い出に残ったことや、校名が無くなるのは寂しいが141年の歴史を大事にしながら新しい歴史をつくっていこうと挨拶してくれました。
最後に、参加者全員で校歌を歌い、式典を締めくくった。
その後、学校や地域の歴史を振り返る、児童によるアトラクション「水沢物語」が演じられました。
アトラクションの終幕には、全校児童がステージに上がり別れの呼びかけが行われ、最後に130周年記念歌「ふるさとはずっと」を万感こめて歌い、満場の皆さんがその熱い思いに感動させられました。
3月4日(金)
10時から二日目の議会定例会が開催され、平成28年度一般会計予算と10の平成28年度特別会計予算が予算特別委員会を設置して審議されることになった。特別委員会委員長には菊地議員が、副委員長には皆川議員が選出された。
この他、陳情3件については、総務民生常任委員会に付託することとして散会した。
12時からは四年前、全国110番目のひまわり事務所として能代市内に開設された「白神ひまわり基金法律事務所」に赴任した「小坂塁」弁護士がこの度福岡に転出することになり、後任に東京都の北千住パブリック法律事務所から「大庭秀俊」弁護士が着任しました。
その引継披露祝賀会が能代市の平安閣で開催された。
このひまわり法律事務所は弁護士会の基金で設置され、司法サービスの十分でない地域のソーシャルワーカー的な役割を果たしている。
自治体とも連携したいとしており、空き家の問題であるとか、認知症の増加による問題であるとか、様々なこれから知恵を借りなければならないことが予想されますので、情報交換が必要であると思います。
小坂弁護士のこれまでのご労苦に感謝しながら、大庭弁護士の今後のご活躍を期待したいと思います。
3月3日(木)
本日から3月議会定例会が始まった。
1日目の今日は10時に開会、鈴木議事運営委員長から報告された会期と日割表を決定し、日程に従い議事進行された。
私の方からは冒頭、「あきた白神体験センターの不適正経理」についてあらためてお詫びした後、提出議案の概要も含めた行政報告と平成28年度予算編成方針を1時間25分かけて説明した。
その後、提案された32議案を順次審議を行い、すべて原案通り可決して頂き、15時49分散会した。
会期は18日までである。
3月1日(火)
八峰町は、昨年の「飲酒運転等居住別実態調査」によれば、酒気帯び運転が1件記録されましたが、全県第4位の好結果であった。
本日は、菊子地域振興局長が来庁し、佐竹知事名の表彰状を伝達して頂きました。
わが町は、昨年10月5日に交通死亡事故ゼロ日数が1000日を超えて、目下更新中であります。
町民の協力と交通関係者の連携した取り組みによって当面、1500日を目指して頑張ってまいります。